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2021年12月7日
vol.87「当てもの」月影沙織

師がよく言っていたことのひとつ。
「当てものはしない」

「占いなのに当てちゃいけないってどういうこと?」
と最初は思った。
しかし師の言葉をきくうちに、
「確かに」と思うようになった。

世間で“占い”というと
「当たるか当たらないか」ということが重要視される。
もちろん、「占いは当たるか当たらないかが重要だ」
と考えてもいいだろう。
占いに対する考えは千差万別であって構わない。

しかし世間は「良いことだけを当てろ」
といっているような気がする。
よく考えれば「当たる」ことの中には「悪いこと」だって含まれる。
だけど、世間の多くの人は占いに
「悪いことを当てる」のは望んでいない気がする。
それなのに「当てろ」という。

例えば「あなたは明日1億円を手に入れられますよ」
と言うのはOKだろう。
しかし「明日あなたは死にますよ」と言うのはどうだろうか。
もちろん多くの人が望まない占い結果だと思うのだが、
それが「当たる」ことだったとしたら、
占い師はあくまで相手の望んだ「当たる」占いをしたことになる。
それを聞いて占われる相手が
「なんてことを言うんだ!」と怒ったとしても、
「当たる占い」を望んでいる限りは
「死にますよ」と言われてもしかたないことになる。
だって「当たる占い」を望んだのだから。

そう考えると、「当たる占い」をすることは、
相手を不幸にしてしまう場合もあるのだと気づかされた。
他にも意味が含まれている面があるが、
少なくともそれがひとつの理由だと思った。
だから師は相手の話をよく聞きなさいと言っていた。
なぜそのような悩みを抱えてしまうのか、
その原因をホロスコープから見つけ出し、
どうしたら解決できるかをともに考えていきなさいと言っていた。
しかし場合によってはホロスコープは必要ないとも言っていた。
相手の悩みに寄り添い、自分の経験などからアドバイスでき、
それが悩みを解消するなら、それでも構わないと言っていた。

語弊があるかもしれないが、「占い」はあくまで
悩んでいる人をその悩みから解放するために使うひとつのツールであって、
絶対的存在である必要もないということだ。
その人が現状に満足したり、納得したりできれば、
「当たる占い」を欲することもないだろう。

さて。
今日も我が師が起こしたルネ・ヴァン・ダール研究所には
「当てもの」を望まれる方々がやってくることだろう。
その方々に「当てものはしませんけど、よろしいですか?」と、
まず伝えることから始めようか。