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2001年5月2日
vol.03「他者比較の不幸・その一」

前回は、「時間を大切にして生きよう」「取り越し苦労は無駄なこと」というお話をしました。
今回は、「比較癖」のお話をしましょう。

落語の枕に「えぇ、昔から十人寄れば気は十色、なんてことが言ってありますが、
お人は皆それぞれでお気持ちが違うようで…」と言うのがあります。
しかし、これは、どうやら事実です。

十人十色をそのまま受け入れてしまえば問題ないのですが、
人間という動物は厄介なもので常に他者と自分を比較するという悲しい習性を持っています。
この他者との比較が、人類最大の悲劇「差別と偏見」につながっているのですが、
わかっていてもなかなかその呪縛から逃れることができません。

日頃、平和主義で進歩的な発言をしている文化人と呼ばれる人々でも、
その論旨をよく聞いてみると、案外、我田引水的、
かつ、他者攻撃的な偏向思想の陳述だったりすることがよくあります。
「あなたの平和は私の平和ではない」ことになかなか気づかないようです。

地上の同一の一点に二人の人間が同時に立てない道理で、人類が何億人いようとも、
自分という生命個体は自分だけです。

したがって、親兄弟であろうとも自分は他の生命個体では絶対にあり得ない。
個人は個人以外の何者でもありません。

私の生き方、私の人生は、私だけのもので、本来、他者と比較してみても始まらないのです。

その個別固有の私という存在は誰にも冒されぬ尊厳を持っているわけですが、
その尊厳を認めてもらうためには、当然、他者の人生観や価値観を理解し、
他者の尊厳もまた自ら認めることです。

他者を、理解するということは、他者の考えをすべて受け入れることではありません。

「なるほど、あなたはそう言う考え方を持っているのですね」と認識することです。
相手が自分とまったく違う思想、宗教、人生観、価値観を持っていても、
それをそのまま認知することが大切です。

批判や評論は不要です。
なぜならば、自分という人間が他人を批判したり、
評論できるほど立派なものかどうか考えてみればわかります。

私は、自分の人生を楽しく、目一杯生きていますが、
完全に正義と善行で貫かれてはいないでしょう。
ですから、本気で他者批判や比較はしません。

そう言う行為から、幸せな気持ちは湧いてこないからです。
自分をしっかりみつめると、他者比較の無駄な葛藤から解放されます。